【自己紹介】40代 未経験から在宅ワークで月10万円!子育て卒業からの挑戦

子育てを卒業したら、次、何する?そんな風に考えたことありませんか?
アイコ
アイコ
はじめまして!アイコです。
数あるブログの中からお越しいただきありがとうございます。

社会人と大学生の母、48歳
40代後半・未経験から在宅ワークに挑戦
デザイン×SNS運用代行×Webマーケティングを身につけ
1年目に在宅ワークで月10万円の収入を目指しています

このブログでは、40代からの在宅ワーク・未経験からの挑戦について
私のリアルな体験を発信していきます。


40代後半。
子育てがひと段落したのに「自分のこと」となると
何をしたらいいのか分からない。

アイコ
アイコ
あれ?私には何も残ってなくない?
いつの間にかもうこんな歳になってる…
私の人生、これからどうなるの?

20年以上、子ども中心の生活。
「誰かのために」が当たり前で
気づけば“わたし自身”の人生はどこかに置き去り。

子どもに経済的な不安を感じさせたくない…
私の気持ちで生活レベルを落としてはいけない…

自分の気持ちは押し殺して暮らしてきた数十年。
夫との会話は、ほとんどなくなっていました。

だから、一番の不安は「2人の子どもが巣立った後の未来」でした。
夫と二人きり…この先もずっと変わらない?

「変わりたい」そう思ってはみたものの
何から始めればいいのか分からない…。

「40代から新しいスキルを身につけられる?」
考えれば考えるほど、不安ばかり…。

でも、一歩踏み出さなければ
また1年後も同じことを考えてる。
ってことは、また1つ歳を重ねてるだけ…。

やらなければ一生できない!やってみないとわからない!
頭ではわかっていたその言葉を、やっと本気で思えるようになったんです。

子育てを卒業した、これから先の人生を
私自身が楽しく、笑顔で生きていくために
まず最初にやらなくてはならないこと…

それは、経済的に自立すること。
未来の選択肢を増やす方法だと気づいたんです。
そして、48歳で在宅ワークという働き方に出会いました。

場所や時間に縛られずに働ける
煩雑な人間関係に巻き込まれにくい
年齢に関係なく努力次第でスキルを積める
これまでの経験も活かせる
経済的自立を叶えて人生を自由に選択できる

こんな働き方があったんだ!今からでも遅くないかもしれない!
そう思い学びを始めました。

現在は、デザイン・SNS運用代行をしながらWebマーケティングを学び

1年目に在宅ワークで月10万円の収入を目指しています

なぜ、私がリスタートを決意したのか、その経緯を自己紹介しながらお話します。
もし、あなたが今、少しでも同じ想いを抱いているとしたら…
このブログが、次の一歩を踏み出すヒントになれば嬉しいです。
少し長くなりますが、どうぞ最後までお付き合いください☺

基本情報

名前 … アイコ
現在 … Webマーケティングを学びながら在宅ワークのフリーランス
出身 … 東京
血液型 … O型
MBTI … INFP(仲介者)
好きなもの・こと
作ること … 料理・DIY・手芸
食べること … そば・イタリアン・塩味・コーヒー・お酒
読書…小説
映画・ドラマ … 岩松了、三谷幸喜、坂元裕二、古沢良太の脚本作品
音楽 … ビートルズ・竹内まりや・ユーミン・Chara・嵐(ファンクラブ会員)
お店 … 無印良品・DEAN & DELUCA
娘にもらった発酵フードメーカーでゆる麹生活中

変わる家族のカタチ

東京で生まれ、シングルマザーの家庭で育つ。
家事や妹の面倒を見ながら、吹奏楽に熱中。
やらなきゃいけないことだ思っていたし辛いとか大変とは思っていなかったけれど
今思えば、もっと子どもらしく生きても良かったはず。
誰かのために動くことが当たり前だった。その意識は大人になっても変わりませんでした。

自由を見つけた日々

母の意向で制服も校則もない私立中学に進学。
はじめての電車通学。個性的な友人と出会い、バスケ部に入ります。
人と違うのは当たり前だと思える自由な校風の中で思春期をのびのびと過ごせました。
今になって母の選択本当に感謝しています。
だから、今の私は 「誰かに縛られない生き方をしたい」と思っているのかもしれません。

砕け散った自信、18歳の挫折

中高一貫校から美大を志望し画家を夢見る。
「好きなことで生きていく」と信じて疑わず
本気で何者かになれると思っていた「謎の自信」に満ち溢れていた唯一の時代。
結果は全滅。「好き」だけでは人生は思い通りにならないと知った
まるでこの世の終わりのような18歳の春でした。

未来が見えないまま大人に

一浪したのち、結局、志望校には進めず、短大へ。
思い描いていたものとは違う現実。
ギャップに虚しさを感じたり、才能がないと自覚。
家庭内で、心が落ち着かない出来事が続き不安定な状態で中退。
自分がしたいことが分からなくなる中、小学生時代に熱中していた吹奏楽を再開。
「何者にもなれない」焦りだけが募っていました。

社会の壁、最後の青春

紹介で、正社員として事務職に就きます。
人生で初めて母子家庭ということを差別され理不尽な扱いを受けました。
「私、社会の当たり前に馴染めない…心が壊れる」そう思い退職。
その後、古着屋、写真屋、飲食店…でフリーターをしながら
将来について模索し続ける日々。
気づいたら終わっていた最後の青春時代でした。

フリーター、ママになる

結婚に夢なんて持っていませんでした。
いつか子どもは欲しいけど、結婚はしなくていいや
と思っているフリーターでした。

がしかし、子どもを授かり結婚。

夫は、いわゆる普通の家庭で生まれ育ち
きちんと勉強してきた人。

夫の世界には、私の「好きなこと」なんて存在しなかったけれど
当時は、それが新鮮だったし
私の話を静かに聞いてくれていたので
受け止めてくれてるんだと思っていました。

でも、それはただの思い込みだったと気づくのは、数年後のこと…。

出産後まもなく、夫の転勤。
地元から遠く離れ、頼る人も知り合いもいない地方での
完全なるワンオペ育児が始まりました。

古びた社宅。
周りは年上の上司の奥様ばかり。
慣れない土地での初めての子育て。

私が頑張るのが当たり前なんだろうな…
できなきゃいけない…やらなきゃいけない…

そう思い込んでいましたが苦痛ではありませんでした。

夫にも何かを手伝ってもらうという発想がなかったし
お母さんになったんだから当たり前だと思っていました。

でも、本当は
吹奏楽も辞めた、バイトも辞めた、友達ともすぐに会えない…

1人の女性から、いきなり「お母さん」になってしまった。
わたしだけ、全てをリセットされたような気持ちでした。

まだ話せない我が子との毎日。
必死でサークルを探し、ベビースイミングに通い
少しずつ地域で友人ができ孤独だった子育てから解放されていきます。

ママは笑顔じゃないと…
そのためには動かなきゃいけない…
夫は会社に行っているんだから仕方ない…
そう考えていました。

そんな中、原因不明のリンパ腺の病気を発症。
2歳の子どもを抱えての通院。

精神的にも肉体的にも限界…
それでも、動くしかありませんでした。

でも、その土地でできた、かけがえのない友人たちが
わたしを救ってくれました。
彼女たちがいなければ私は潰れていたかもしれません。

夫婦関係の違和感を抱えながらも
子どもとの生活の安定を優先していました。
そして、目の前のことで精一杯だった新米ママ時代でした。

歩き続けたママの道

2人目の子を出産

数年後、再び、夫の転勤。
またゼロから新しい環境に馴染むところからのスタート。

1人目の子と年の差もあり少しだけ育児に余裕もあったけど
生後間もなく子どもに病気が発覚。
産後の体が回復していない状態での通院。

私のせいなのかもしれない…
子どもの顔を見るたび自分を責めてしまう真夜中の授乳。
同じ部屋にいる夫を見ると何も気づかず眠っている。

日中は、1人目の子との時間。
私は専業主婦だし、ママだし。頑張るしかない。
それが当然だと思い込んでいました。

けれど、このころ
「アレ?私、ひとりでやってない?」
と、たびたび感じるようにもなっていました。

でも、私は専業主婦なんだから、私が頑張るのが当然。
そう思い込んでいたけれど
ついに心のどこかに隠していた違和感が
大きくなっていることに気づきました。

私は“絵に描いたような普通の家族”に憧れがないつもりでした。
でも、どこかで求めていたのかもしれません。

いつもその時は気づかず
後になって“我慢してたんだな”と気づくことばかりでした。
(現在、子どもの病気は完治)

マイホームを建てる

そんな中、家を建てたことで
安定感を得たような気になっていました。

しばらくして、夫が海外へ単身赴任。

親子でイベントやワークショップをしたり
いやいや担ったPTA役員でも人に恵まれ
知らなかった世界を垣間見ることもできました。

そして、夫が同じ空間に居ても
寄り添いがないのなら
むしろ、居ない方がラク。辛い気持ちにならない。

そんな風に思い、ママ友たちにも恵まれて
子育てを思い切り謳歌していました。

ただ、この生活は私ひとりの力では成り立たない。
結局、夫の経済力に頼っていることに
気づきながら子育てをしてた時期でした。

単身赴任が終わる…

そして数年後、夫の赴任期間が終了。
再び、一緒に暮らし始めます。

けれど、もう、お互いに
向き合えないことを認識していました。

それでも言葉にせず
母親として、父親として
この家族というチームを存続させることがベストだと

気を抜いたら外れてしまいそうな「心の蓋」をして
目まぐるしく過ぎていく生活。

子どもが巣立つまでは、このままでいい
私の気持ちだけで子どもの生活レベルを下げてはいけない…

この生活は、私一人の力では成り立たない。

そんな気持ちを抱えながら気づけば
今では顔を合わせないようにする暮らしが当たり前になりました。

お互いに干渉しない
その点はラクなのかもしれません。

だけど…
私はこのままでいいの?
そう問いかける自分の声は日に日に大きくなっていき

幼いころから心のどこかで描いていた暮らしではないことを
私が一番わかっていました。

でも…
わたしが向き合えないだけ…夫は子どもたちを傷つけてはいない。

この生活レベルを保ったまま
私ひとりで子どもたちを育てるスキルもキャリアもない…
独り身になっている母のことを考えたら
何かを変える勇気も自信もない。
そんな言い訳を並べながら「変わることを」選べずにいました。

静かなる焦りと働き方を模索する日々


母親として生きることに不満はありませんでした。
むしろ、近くで成長を見守れることが一番の喜びでした。

そのくせに○○ちゃんママと呼ばれることには違和感。
親しいママたちとは名前で呼び合ってきました。
わたしであることを忘れたくなかったのかもしれません。

子どもを優先したい

2人目の子が幼稚園に通うタイミングでパートを開始。
それでも、変わらず子ども中心の生活。

もしかしたら
幼いころに自分がしてほしかったことをしたかっただけのかもしれないな
と最近、思います。

子どもの成長、やりたいこと、中学受験…などの
その時々のフェーズに合わせ、いろいろな仕事を経験しました。

ECサイトのWEBデザイン
飲食店のホール&キッチン
カフェのパティシエ
フォトスタジオでの撮影
卒業記念アルバム制作
記念動画編集・制作
料理専門の家事代行

モノを作るのが好きな私にとっては、どれも好きな仕事でした。

作ったものを喜んでもらえることが私の大きな喜びでした。

撮影、制作の仕事では、同じ子どもたちの入学~卒業まで撮影し続け
1年ごとの動画、卒業アルバムを制作しました。
成長を見守り、その瞬間を形に残す経験は、本当に特別なものでした。

でも、正社員になったら時間の融通が利かない…
私にとって仕事選びの第一条件は子どもを優先できること。

その結果、キャリアを積むことよりも
時間の融通が利く仕事・職場を選んできました。

そして、気づけば「何も変わらない自分」

結局は夫の経済力に頼らなければ生活は成り立たない。
それを痛感すればするほど、「私には何もない」
という無力感を感じていました。

夫の経済力があったからこそ、私は、子どもたちの生活を最優先にできました。
そのことへの感謝の気持ちはあります。

でも、この頃の私に、在宅ワークという働き方を教えてあげたい。
子育てと両立しながらできる働き方があったことを。

けれど、もがく、わたし

「変わりたい!」
迷いの中で、いろいろなことに挑戦もしました。

資格取得
(整理収納アドバイザー/ベジタブル&フルーツアドバイザー/マクロビオティックセラピスト/メディカルハーブセラピスト/食品衛生責任者)
自己啓発セミナー参加
レシピサイト投稿
レシピをインスタで発信
企業アンバサダー
レシピ雑誌掲載

どれもやりがいはあったけれど
望むような収入にはつながりませんでした。

料理や子どもたちのものを作ることは
当時、私にとっての創作活動でした。

周りに「すごいね。」「器用だね!」
と温かい言葉をもらえても
私は、何をやっても変わらないのかも…
お金にならないことしかできない…

冷凍食品を使わずに作っていたお弁当は
仲の良い両親の姿を見せてあげられないことへの
ささやか贖罪なのかもしれない…

と、ひそかに自己評価が下がる一方でした。

前に進みたくて挑戦したのに
結局は、何かやっていることで安心して
現状維持できてればいいのかな…と現実逃避。

そんな中、2人目の子が学校の検診でひっかかり
病院で「将来、長期的な治療が必要になる可能性もある」
と診断されました。

原因不明のまま、しばらく通院が続くことに。
「もう高校生だから…」そう思っていた矢先でした。

本当はいつも
「何かを変えなければ、このまま何も変わらない」と思っていました。
でも、経済的に自立していない今の自分では、選べる道は限られています。

「離婚」という言葉が、何度も頭をよぎりました。
でも、それを考えるたびに「現実的に無理だよね」と打ち消してしまう。

もし、私に経済力があったら? 何かを変えようと思えた?
そう考えたけれど、結局「今は動けない」という現実にかき消されていきました。

気づけば同じところを、ぐるぐる回っていたのかもしれません。

静かな部屋に残されたわたし


1人目の子どもが就職し家を出る日。
この日が来るのはわかっていたのに
襲ってきたのは焦燥感と喪失感 。

改札に吸い込まれていく後ろ姿を見送った瞬間
自分でも驚くほど涙が止まりませんでした。

電車に乗れば2時間かからない距離。
それなのに…
子育てが終わったよという合図のように思えました。

車の後部座席では、2人目の子が
そっとBGMをかけてくれていました。

その音楽が、まるで映画のワンシーンのような気持ちにさせ
ますます涙が止まりませんでした。

生まれてから一緒に暮らしてきた我が子と離れる淋しさ

よくがんばってきたよ、私
という労いでもあったかもしれない。

これからの自分の人生を考えて感じた
心の中に空いた大きな穴だったのかもしれません。

あぁ、本当に子育てが終わっちゃった

狭く感じていた部屋も
誰かの声が響いていた空間も
広く、静かに感じる時間が増えていきました。

もう、お弁当を作る必要もない。
面倒だった水筒洗いもしなくていい。
どんどん増えていく、ひとりの時間。

これが
子育てを卒業するということなんだ…。

これまでの生活は、夫の経済力があったからこそ
私は扶養範囲内のパートをしながら
子どものスケジュールを最優先してこられました。

でも、今はまだ同居中の2人目の子も独立したら…と考えたとき
夫と2人きりの未来を思い描くことはできませんでした。

冠婚葬祭など夫婦として振る舞わなければならない機会が増え
「このまま演じ続けるの?」 という違和感は
ますます大きくなっていきました。

もう何年もまともに会話すらしていないのに
その場では「夫婦」を演じるしかない。


「選べる未来」がなければ、何も変えることができない。
そのことを、痛いほど実感しました。

振り返ると、ここ20数年私は「ママ」として生きて
子どものために頑張ることが私の生きる意味になっていました。

それは私が望んだかけがえのない時間。

けれど、2人目の子が独立するときには
私は人生を選べる状態になっていたいと思ったんです。

子どもたちに育てられた、わたし

何者にもなれなかったわたしが
子どもたちのおかげで「ママ」にしてもらえた
私自身が子どもに育ててもらったと思います。

小さな手を引いて歩いているつもりだったけれど
いつも手を繋いでもらっていたのは私の方だった

だから淋しくなかったし
苦手なことにもチャレンジできた。

「ありがとう」
子どもたちには感謝しかありません。

わたしの“ひとり立ち”

けれど、本格的に気づきます。

「このまま何もしなかったら、5年後も10年後も何も変わらない」
夫の経済力に頼って生きる未来しかないの?
まずは、正直な気持ちで何かを選ぶことができる自分になること。
そのために、選べる状態になることが大事なんだと思いました。

ずっと誰かのために生きてきたけれど
これからは「私のための人生」を生きる番。

子どもの手が離れて久しぶりに“ひとり”になった
このままじゃ、何も変わらない。
「経済的自立」は、私が本当に求めている道への入り口なんだと気づきました。

わたしの人生を生きていく:在宅ワークへの道

このままじゃ、未来は変わらない!

選べる未来をつくるために、私は動くことを決めました。
選択肢を持っていなければ、”選ぶ”ことすらできない。
まずは、選ぶことができる自分にならなければいけないと思いました。

子育てを卒業した自分の人生を考え
40代後半からの働き方を模索し始めます。

数年間、こっそり見続けていた
在宅ワークで収入を安定させるための女性スクールSNSアカウント。
スクール開校当時から気になっていたけれど

代表の若い女性の発信を見ては
この年齢じゃ遅すぎるよね…
と勝手に諦めていました。

それに、自己投資することへの抵抗感。

だけど、ひとりの時間は驚くほど増えて行く。
推し活も、趣味も特にない。

でも、誰かのために何かしたい。誰かに必要とされたい。

説明会だけでも聞いてみようかな。
子育てを卒業してやっと動くことができたんです。

今からでも、できることがある

そして…
在宅ワークで40代後半からでも学び直して収入をつくれる
今からでも、できることがある
家に居ながら収入を得ることができる
と知りました。

結婚後、自分のためだけに大きなお金を使うのは初めて。
振込金額を入力する手が震えるくらい、それは、相当な決心でした。

この一歩は、小さく見えるけれど新しい軌跡の始まり
やがて奇跡に変わるかもしれない。
不安はあったけど久しぶりにワクワクしました。


40代後半からでも、できることを探し始めた

まず、在宅ワーク
デザイン
SNS運用代行
で収入を得るために学び始めました。

スクール代表の
女性の働き方をシームレスにという理念に共感し
いくつからでも始められるという環境に勇気をもらい
たくさんの学びを得ました。

けれど、やはりぶつかった壁。

どうやって集客すればいいの?
サービスを必要としてくれる人に届けられるの?
こんな私にお金を払ってくれる人なんているの?

どんなに頑張っているつもりでも
必要な人たちに届けられなければ意味がない…

わたし、頑張れてない?
また途中であきらめるの?
それとも本気で変わるために行動する?

Webマーケティングとの出会い

そんな不安を抱えていたとき、ようやく
サービスや商品を、必要な人に届けるための戦略
Webマーケティングに出会いました。

また新たな自己投資…正直、迷いました。

けれど講師の方々の説明を聴いて
人を惹きつける魅力を目の前にし収入につながる仕組みがあると知ったとき

ちゃんと収入につなげるためには
正しい学びと自己理解、そして実践が必要で自己流ではダメだと痛感しました。

WebやSNSなしでは仕事の選択肢が狭まる時代
SNS運用だけではなく、戦略的なマーケティング視点が必要
マーケティングの本質を理解すれば、一生使えるスキルになる

だからこそ、私はWebマーケティングを学ぶことを決めました。

夫の収入に頼らない経済的自立をしたい!
少しずつ、前に進むマインドが芽生えてきていたのだと思います。

今は、Webマーケティングを共に学ぶ
様々な年代の女性たちの存在とパワーも大きな支えになっています。

経済的に自立できたら、人生の選択肢が広がる

そう思う40代後半の女性はきっと私だけじゃないはず…

アイコ
アイコ
変わりたい!
だけど、何から始めたらいいかわからない…
そんな風に悩んでいた少し前の私のような女性が
ひとりでも減ってほしいと心から願っています。

デザイン
SNS運用代行
Webマーケティング

これらを学び実践しながら
1年目の目標は「在宅ワークで月10万円」の収入を得るプロセスをお届けします。

わたしのための人生を…

これまでは誰かのために生きてきた
もう選べない人生だと思って来た

でも、これからは“わたしの人生”を生きる

そう思える女性が
ひとりでも増えますように。

わたしたちは、自由に。そして、もっとシアワセになっていい。

同じように頑張って生きている女性たちと一緒に前を向いて歩いていきたい。

そして3年後の目標は、自分の力で生きる選択肢を持つことです。
本当の自分がどうしたいか?選択肢を持つことで
大切なものを大切にできる人生を選べると思うんです。

自分が本当に価値があると信じられるものを届ける誇れる仕事をしたい
あなたにお願いしたいと言われる仕事がしたい
大切なものを愛おしく思える、そんなゆとりを持ちながら暮らしたい
心から笑ったり、時には泣いたり、感情豊かに生きていたい
経済的に自立して生まれ育った街に引っ越して“私らしく”生きたい

私の挑戦の先にはどんな未来が待っているのか
これからも見守っていただけると嬉しいです。

そして、もし、あなたも「何かを変えたい」と少しでも共感してもらえたなら
ぜひ また、このブログに遊びに来てくださいね。

アイコ
アイコ
最後までお読みくださりありがとうございました!
画面を通して出会えたことに心から感謝しています☺
【コンセプト】子育て卒業!わたしをリスタート!40代 未経験 在宅ワークで月10万円を目指す40代後半・未経験からの在宅ワーク挑戦! 子育てを卒業し、「これからの人生を変えたい!」と決意。Webマーケティングを学び、1年で月10万円の収益化を目指す成長記録を公開。経済的自立で選べる未来へ。 ...

アイコ48歳・2月吉日